ちかしい猫さんの旅立ちを前にした闘病に接すると、キーちゃんのことを思い出す。
タイトルの通り、キーちゃんの病気と共に生きた道のりはパーフェクトで、一切の後悔がお互いにないんだけど、もし一個だけ何かを変えることができる魔法があったら、最後の一日、今なら病院へ行かない選択をする。
そしたらキーちゃんはその後で窒息したかもしれないし、多分あの肺炎の状態からしたら、ポリープで亡くなる前に肺炎が悪化しすぎて亡くなったと思うから、どのみち息が苦しくて亡くなったろうと思う。
それはそれは辛い亡くなり方だと思う。
だとしても、だ。
キーちゃんの場合は眠るように逝くことはできなかったから、キーちゃんの旅立ちの形はベストだったとわかっているけど、それでも、最後お注射で気持ち悪い状態になってしまったのは、申し訳なかったなと思う。
自然な旅立ちを、今なら選択できる。
「たられば」も「もし」も今生きているこの世には存在しないけど(パラレルワールドはどうやらあるらしいから、そっちでは存在するんだろうけど!?)、もしあの時病院に行かなかったら、そしたら数日、いや一週間、もしかしたらそれ以上もっとキーちゃんと過ごせたかもしれない。
でも理由はもっと一緒にいたかったからではなくて、あくまでも最後の、あの、お薬で気持ち悪くなってしまった状態を避けるためという理由でね。
チョさんもそうだけど、結果それがパーフェクトなタイミングになるとはしても、実に多くの動物さんが、最後のお注射で急変して亡くなっていったのを見聞きしてきた。
と言っても、本当にそれらの場合は、いずれにしても旅立ちが近い場合であって、医療過誤のことを指しているのではないので、そこはしっかり区別して欲しい。
例えばステロイドのような強い薬も、使い方によってはもちろんとてもいい効果を得られるけれど、その治療がうまくいくのは体力も余命もある間の話なので、その薬に負けてしまうということは、要はもうそれに耐えうる状態じゃなかったっていうだけに過ぎない。
すなわちそれによって寿命が早まったということではないのだけど、旅立ちの直接的な原因にはなり得てしまうので、最後に自然の状態と異なる苦しみや辛さが訪れてしまうことが多いのも事実。
必要ではなかった苦しみ(気持ち悪さ)を体験させてしまったことが、もう旅立って楽々になった動物たちからは「そんな些細なこと、どうでもいいから忘れて」って思われても、自分の選択であった以上、申し訳なかったって、やっぱりどこかで思う時はある。
実際そうする人間たちは、連れて行った家族も、お医者さんも、みんな「良かれ」と思ってのことなので、そこには愛しかないんだけどね。
だからこそ、このことは何度でも伝えたい。
キーちゃんや他の子達が身をもって教えてくれたことだから。