前回の吐血騒動が笑いで収まるのかと思いきや、まさかの余命一ヶ月。これも実は何かの間違い的なものだと信じてますけど〜。
って、はい黒澤武蔵のことですけど、すみません。
でも「余命一ヶ月」ってシーンを見た時、キーちゃんのことを不意に思い出したんですよ、まさかの武蔵からのキーちゃ〜ん😂
人って大事な誰かが死に向かっている時、一番怖いのがきっと「別れ」なんですよね。
病気や怪我などで大事な誰かが苦しんでいるのも辛いけど、その先の別れが胸掻きむしられるほどに悲しい。
今ここにいる大事な誰かが近々逝ってしまうかもしれない時、生きていてほしい気持ちや治るのではないかという期待や希望と、逝ってしまうのがわかっている覚悟や悲しみの間で行ったり来たり。
不安や緊張が常にあって、神経がすり減ってしまうもの。
だから旅立ってしまった後はもう何も心配する必要がないので、ようやく緊張から解き放たれ、悲しいんだけどようやく心身が休まったりしてね。
逝ってしまえば、なんだかそれはやはり当たり前にある「移行」なんだと身近に感じられるけど、また今生きてそこにいてくれる大事な誰かが病気になったりすると、覚悟していても不安や緊張がやってきちゃったりするのもまた人間の性(なのか、親方の性)。
その繰り返し。
だけどこの先も永遠に生きているものはいないし、誰の上にも平等に訪れるのが死。
それまでの間を、いかに生きるか、いかに愛するか、いかに慈しむか、いかに喜ぶか、いかに嘆くか、いかに学ぶか、いかに悲しむか、いかに反省するか、いかに楽しむか、いかに・・・いかに・・・なんだと思うんですよ。
動揺すら、慟哭すら、一つの学び、一つの経験として自分の糧にして、いつか必ず自分にもやってくる「移行」まで、たくさんの体験で魂を豊かにしてブラッシュアップして生きていくしかないのが、それが人生だと思うんですよ、ね。
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