我が愛する子が病気になったり、または不慮の事故で他界すると、どうしても我が身を責める気持ちって出がちだと思うのです。
親方も、キーちゃんがとんでも病になった時、キーちゃんはうちに来なければこんな病気を発症しなかったのではないか、などと心痛めたこともあります。
どんなに扉を開けて進んでいっても、なーんにも先が見えないんですもん。
こんな苦しいことってないですもん、そのくらいはよぎらせてくだされぃ。
我がことならなんとかなるんですよ、大抵のことは。最終的には自分が死ぬだけ。
でもキーちゃんの身にそんなことが起きたら!
難病の子を持たれた親御さんがよくご自分を責める話をお聞きしますが、そのお気持ちもとくとわかりました(敬服します)。
再発する病気を持っている方のお気持ちも味わいました。
キーちゃんが、症状穏やかならざる状態のまま突っ走り続け(突っ走ったのは病気がね)、何一つ解決策がないまま、やがてそれが不治の病とわかる。
日々格闘しながらもがき歩む中で、一切後悔がないかっていうと、しないで済めばよかったなって処置はあります。そりゃね。
あまりにもキーちゃん大変な思いしちゃったんで。
でも、親方は長いこと自分を責めることはありませんでした。
って言うか、キーちゃんと闘病中のひとときにそう思っただけで、あとは全然自分を責めてる暇なんてなかったですし、とにかく一生懸命に毎日毎日を大切に二人で生きました。
それはキーちゃんをお空に送ってからも同じです。
だって、親方と出会わないキーちゃんなんて存在しないっしょ。
キーちゃんはこの世に生まれたら絶対私と会ったんです。
親方と会ってなければ早々に野で天に召されていただけの話ですけど、出会わないことはないし、発症しないこともなかった。
キーちゃんは白血病ウィルス陽性で生まれて、私と会った時にはすでに骨腫もがっつりあって、時間がもったいなくて寝ないで遊んで、親方の留守中にはトイレを我慢して親方に飛んで帰ってきてもらうことを願った、そのキーちゃんで完璧なんです。
かじりまくって、2才をまたず発症して、壮絶な体験をして、一緒に冒険して、気迫で乗り越えながらくっついて寝て、奇跡的に時間の延長までおまけしてもらって、ネオのお迎えをちょっと遅らせてもらって、最後まで元気に旅立っていった、それがキーちゃんと親方の二人五脚の人生。
完璧すぎるほど完璧。
神様にひたすら愛され続けた二人だと胸を張って言えまする!
お別れは悲しすぎるほど悲しかったけど、いつまでも悔やんだりさめざめと悲惨なことばっかり覚えてたりしない性格です。
悲惨なこともキーちゃんの人生の大半だから、絶対絶対忘れないですけど。
キーちゃんと共に生き切った人生に悔いはないのです。
過去の猫さんで後悔を残している子は親方にもいます。
でもその時はそれしかなかったから、次会った時は後悔なく愛する!と決めています。
愛しているからこそ、悲劇の主人公のようにいつまでも哀しがったり、ましてや自己憐憫に陥ってる隙は親方にはありません。
思い出が輝かしいほど輝いているから。
そして何より、我が愛しの、我が誇りのキーちゃんが、命がけでこの世の誰よりも愛してくれた自分。
キーちゃんがそこまで愛し信じてくれた自分のことも誇りに思います。
そうでないと、キーちゃんの愛に対して失礼だもん。
自分をいつまでも責めるって、愛してくれる子を責めるのと同じみたいなもんではないでしょうか。
その子を丸ごと受け容れることは、その子の病気や事故などその子に起きたそのものを受け容れるということであり、また共に生きた自分のことも受け容れることなのではないでしょうか。
愛するキーちゃんとまるまる一体だったからこそ、そう思います。
「日にち薬」が効いてくる時間は人によって違います。
でも誰にでも平等に、「日にち薬」は処方されているのです。
皆さんも、愛する大事な子が命をかけて愛してくれた(る)ご自分のこと、どうぞ誇りに思ってください。
哀しまないで、なんてそんな野暮なことは一切思いません。
哀しくないはずなんてないもの。
でも、愛する子たちが心配しないように、その子が愛してくれたご自分らしく、また歩みを進められたらいいですね🐾
キーちゃんの病気駆け足編はこちら👇