ある日、我が愛する動物家族にトンデモ宣告が下されちゃったら・・・
例えば、ただの鼻炎であるはずだったのに「こ、これは・・・デキモノです」と言われたら・・・
ポリープならとっちゃえば終わりだよのはずだったのに、腫瘍学会の最高峰たちの集うセンターでも「こんなの見たことない」って言われたら・・・
次から次へと予測不能な展開を毎回告げられたら・・・
最終的には「残り少ない人生」と言われたら、ですかね。
(上記はキーちゃんというハンサムな男の実例です。)
親方は、ついにそれができもの確定となった帰り道、ゲリラ雷雨に襲われて傘でキーちゃんのキャリーを守りながら、川のような坂道を足首までジャブジャブで歩いて、その後カラッと晴れ渡った空の青さを今でも良く覚えています。
周りの人がみんな楽しそうに、いつもの日常の中ワイキャイとキラキラと通り過ぎていくのに、自分だけが違う時間の流れにいるような、1人だけ別世界にいるような感じでした。
泣くとかそういうレベルでなく、ちょっとボーゼンとしていたかな。
そして、きっと世の中でこうやって道を歩いている人の中には、例えば今余命宣告を受けたばかりの方も混ざっているんだな、とそんなことまで思い馳らせたりして。
キーちゃんはそれまでもすでにただ事でない状態だったので、何を言われても事故ほどのいきなり感はなかったけれど、それでも、ちょっとそれまでの世界とは違ってしまったような感じもありました。
だけど、それまでのキーちゃんにもできものはあったわけで、ただ親方が事実を知っただけで、それは昨日と何一つ変わらないキーちゃんだ、とすぐに思い直しました。
何も変わってない。
それはその後、次々と待ち受けていた悲報?のたびに、いつも思うことでした。
キーちゃんは子供の時からあちこち骨腫があったし、病気の根はいつも抱えて生きていた。
ただ親方が知らなかっただけで、何も変わってないキーちゃん。
よく、人間でも病気って聞くと、アラーって見る目を変えてくださる方いますけど、キーちゃんが病気を持っているだけで、病気のキーちゃんではないのです。
だから、なんかどこかで昨日までの日常が変わったように思えても、知らないでいた頃のようにすぐにはキャピれなくても、その子本人は昨日と何も変わってない。
だから、元気で楽しく過ごせていた時と同じなんですよね。
ただ、対処しないといけないことが少し増えていくだけ。
それは、老眼になったらハズキルーペか老眼鏡を買わないと、ってことと同じ。
とはいえ、何か全然違う夢を見てても、目覚めたら真っ先に浮かぶのがその子の病気という現実だったり、片時もその対処について頭から離れない毎日であったりするでしょう。
心身ハードな毎日が待っていることもあるでしょう。
今病気と共に生き、病気を克服しようと頑張っていらっしゃる方、あるいは緩和ケアの時期に入り、全てを受け入れて暮らしていらっしゃる方、そして何よりその動物家族全てのみなさんに、親方はエールを送り続けます。
肉体がどんなに辛くても、彼らの魂は常に健全。
ただ、肉体の苦痛は最小限でありますように、穏やかな日々が続きますようにと、心よりお祈りしています。