動物は旅立ちを自分で決めるといいます。
飼い主さんの腕の中で旅立つ子、夜通し看病していたのにちょっとトイレに行った隙に旅立つ子、家族の帰りを待ってから旅立つ子、反対に飼い主さんが出かけている間に旅立つ子、病院で旅立つ子、様々です。
親方は皆さんに言われました。
やっぱり親方がそばにいる時に逝ってくれたわね、と。
留守も多いうちだったので、親方が見送れないこともいつも覚悟はしていましたが、やはり見送らせてもらえることは、親方にとってはとてつもなく大きなギフトでした。
ニンゲンにとっては見送らせて欲しいって思っちゃいますけどね、でもそれはみんなその人に合わせて旅立っているそうです。
彼らの思いやり、愛の選択です。
昔はお外に自由に行っていた猫が多かったので、猫は亡くなる前に姿を隠すとよく言われましたね。
うちの初代の猫、クロのお嬢さんもそうでした(ヒダリちゃん、ミギちゃん、クロのおっかさんもそうでした)。
亡くなったのかどうか分からないのも実に辛いものですが、それでも彼らの流儀、彼らの美学なんでしょう。
このクロのお嬢さん、何十年後にあーちゃんによって亡くなりに行ったことが判明し、一家で心に一区切りをつけることができました。
そうそう、キーちゃんは、案の定親方が察した通り、亡くなる1週間くらい前に物色していた場所の一つで旅立ちましたよ。
やっぱり亡くなる場所を検分していたんだね、キーさんや。
キーちゃんの場合は、天に祈りが聴き届けられて、予定以上にキーちゃんが頑張ってくれたと思えているので、親方は全てを受け入れることができました。
だって、毎日毎日覚悟しながら生きられるってね、この上なくありがたいことだったのです。
かつて親友だった猫を事故で突然失ったのは、覚悟ができていなさすぎて本当に辛かった。
動物を深く愛することに心が躊躇してしまうくらい辛かった。
でもキーちゃんの場合は、一日一日を掛け替えのないものとして、毎日毎分毎秒を心底大切にして生きられました。
なのでキーちゃんと生きた時の時間の流れ方は、本当に本当〜に普段とは違ったんです。
周りの友達やワケーノワカクネーノにも、キーちゃんは2年半しか暮らしていないとは思えませんねとよく言われました。
一日一日を慈しむ日々、一日一日を味わいつくす日々、それはそれは輝ける日々でした。
もちろん今もネオと過ごす一瞬一瞬が大切。
でも時間の流れ方はありがたいことにまだ普通です。
明日もネオは元気だと今は思えるので、時間がフツーに流れる生活も、それはこの上なくありがたいことです。
ねっちゃん、一生病院に行かず仕舞いでお願いします。