先日旅立たれた楓くんともう一度お話しさせていただけるチャンスがありました。
こちら前回↓
loveofcats.hatenablog.com
楓くんに、一足お先に天使になった汰助くんとは会えた?とお聞きすると、汰助くんも一緒に出てきてくれました。
そして後ろにも猫さんがいっぱいいました。
そんな天使になった楓くんに、「いのちについて」を今一度お伺いしてみました。
その場その場を生きるというのが、別に意識してなかったけど、僕にとってはありがたいものだった。
(とにかくお家での毎日が楽しく、ただ生きた、とそんな感じです)
命は続いてるよ。
命というのは生きるだけじゃないよ。
寝ること、感じること、考えること、もちろん食べること、喜ぶこと、楽しむこと、悲しむこと、怒ること、全てを体験する豊かさ。
それで命は豊かになるんだ。
亡くなって帰った時に、その豊かさを(大きな風呂敷を背負ってるイメージで)、その豊かさを持ち帰るんだよ。
そして今回の人生ではこんな豊かさを体験しましたって、その包みを広げてみんなに話して聞かせて分かち合うんだ。
そしてまたあちらの世界でも、それを元にみんなで勉強するんだよ。
だから喜びも悲しみもどっちも大事なんだけど、僕としては、喜ぶこと楽しむこと、心弾むようなことをいっぱい持って帰れるとハッピーだよね、って思う。
(今回は辛いことが多いなあって人生の方へ)
辛いだけの人生なんてない。
辛い人生の時は、辛いからこそ本当に些細な喜びや幸せをたくさん見つけられるし、それが生きる希望みたいになるし、その人生の中での・・・人と比べる喜びの大きさとか量じゃないんだ、その人生で何を見つけられるか、それぞれその人なりのものを持ち帰るんだよ。
親:楓くん深いなあ、いっぱい持ち帰ったんだね
だいたい動物は愛をいっぱい持ち帰ってる。
愛することも愛されることもどっちも持ち帰れるよ。
そして楓くんが教えてくれたのですが、あちらではいかに愛し愛されたか、いかに自分の人間パートナーさんが素晴らしいかなどの自慢大会もあるそうです。
もちろん実際の大会ではなくて、お仲間同士の井戸端会議で自慢しっこをするのです♪
家猫さんに生まれなかった子はその話を聞いて、「それいいなあ」とか「今度はおうち猫に生まれてみてもいいかなあ」と思ったり、そして自分は自分でどんなお外体験だったかを語るそう。
そうするとお外に行けなかった猫さんは「いいねいいね」って聞いたりして、お互いに盛り上がるそうですよ。
相変わらず楽しむことの達人のような楓くん、身軽で毛もほこほこのもふもふの後ろ姿で、沢山のお仲間の待つ世界へと去って行きました。
ちなみに、楓くんが背負っていた大きな風呂敷包みも、彼のお気に入りのバンダナと同じ緑色っぽかったのです。
今思えば、バンダナで背負ってったのかな。
親方だから風呂敷に変換されただけで、イマドキの方が翻訳したらUSBメモリとかiPadなのかもって楓くんちのT先生に言ったら、「風呂敷がいかにも楓らしい」って仰っていましたけど、バンダナだったのかも♪
T先生のお家の動物家族は沢山いるので、沢山の子がそれぞれの風呂敷だかバンダナだかiPadだかに目一杯の豊かな愛と経験を持ち帰るので、あそこのおうちに生まれたいって評判も沢山出回っているようなので〜す。
愛する我が子が還った時に、鼻高々で自慢してもらえるような爺やでありたいものです。