前述のドラマの中で、人間になりすましている悪魔が人間に尋ねます(ファウストが原作のドラマなもんで・笑)。
「人間には記憶と思い出というものがあるようだが、どう違うのか」とかなんとかそんな風。
「記憶と思い出は少し違います。」と答える人間。
どう違うかは具体的に答えないけど、そのセリフを聴くたびに、「確かにね〜」ってキーちゃんのことを想います。
記憶と思い出の違いかあ。
メモリー的な意味での記憶は脳でするイメージ。
でも思い出は心で蘇る感覚がある(生理学的には脳なんでしょうけど)。
思い出って、全記憶の中から、感覚や感情を伴って残る一部というか、そんな感じですね。
まざまざと、音や匂いまで思い出せたりしますよね。
そう思うと、エピソード記憶=思い出と言ってもいいのかもしれませぬね(ざっくりですよ、正確に突っ込んで来ないでくださいまし)。
もちろん「懐かしい記憶」というように、記憶という言葉を思い出として使う場面もありますけどね、親方的には、記憶は忘れてしまうものもあるけど、思い出っていつでもありありと思い出せるよねって感じかな。
といっても、時がどんどんどんどん経って、いつしかだんだんと薄れてしまう思い出もあります。
ただその中でも印象深くてずっと残っている思い出は、多分この先も一生消えません。
比較的記憶力がいいと言われている親方ですが、暗記が得意なのではなくエピソード記憶が得意なだけで、すなわち「思い出容量」が大きいのかもねとこの度思いました。
だとしたらそれはいい性能だな。
後でネットで調べてみると、「思い出は全部を記憶しているけど、記憶は全部を思い出せない」と出てきましたわ。
英語ではどっちもmemoryになっちゃうけど、お国によっては違う単語で表されたりもします(現にそのドラマも海外ドラマだし)。
想い出は記憶というより、追憶に近いのかもしれません。
キーちゃんが亡くなった時、どんな些細な一瞬も忘れたくないと思いました。
しかしそれは実際には無理な話で、言われれば蘇ることもあるけど、日常では忘れてしまっている出来事もあります。
そして残念ながら、思い出そうとしてもどうしても思い出せない一瞬もあります。
どんなに具合が悪くても玄関に迎えにきてくれて、玄関でえづきながら待ってたキーちゃんが、具合悪くなりすぎて出て来られない時があるようになり、最後の最後の方はいつからどうだったっけって、今からだとどうしても思い出せないんですよ。
昔一緒に暮らしたシロが、事故で亡くなる前、最後に会った時はどんな場面だったかも、どうしても思い出せないんですよ。
だけど親方には、「キーちゃんがどんなに具合悪くても、玄関でえづきながら待っててくれたあの日とその後の展開」の思い出は消えないし、キーちゃんが元気だった時、「おかえり〜」って爪とぎで伸びをしながら、親方のうなじや耳の後ろを吸い込んでお外の匂いチェックをして(伸びたキーちゃんとハグの状態)、そこからまず先に飛ぶように洗面所に行き、足元マットでごろつきながら、洗った足にフェチフェチしつつ、親方が手や顔を洗うのを待って、またまたそこから先に居間の絨毯の「撫でてコーナー」でコロンコロンごろつきながら待ってるのを、盛大にただいまのお腹まさぐりこねくり儀式を行ってのち、ようやくキーちゃんのご飯タイムに移る、とかね、そんなルーティーンも愛おしくて永遠に消えない思い出として残るし、シロが初めてうちの庭に来た時のことも、事故現場から連れて帰って来た日のことも、永遠に消えません。
ネオとの日々も、過ぎ去った日々が全て思い出として残る訳ではないのは分かっているから、もういっそ、覚えきれなくて忘れてしまうくらい、気が遠くなる程の長い時間を共に過ごしましょうよ、ねえ、ネオさんや。