そりゃ親方もききみみ頭巾が欲しかった子供ですから、動物や自然界と話せたらいいな〜って憧れてました。
キーちゃんの命が危ういとき、今まで自分は申し込むことはないだろうと思っていたアニマルコミュニケーションも初めて申し込んでみました。
こちらね↓
結果としてお話ししてもらえて本当に本当に良かったです。😭
その後も節目節目で敏腕コミュニケーターさん達にお話ししてもらったり、親方のアニマルヒーリングでもお話しというツールは多少ながら使わせていただいておりますし、当ブログでも、いかに動物達の心境や悟りが素晴らしいかをご紹介させていただいております。
お話ししてもらうって本当に感動がボロボロ散りばめられていますと実感していると共に、だからこそ常日頃感じていることがあります。
これはそんな独り言みたいなブログです。
元来は皆さんがもともと持っていた力と言われていることでも、現代では使うことを忘れられて、一部の方しか使えていない能力ってありますよね。
幽霊が見える人見えない人がいたり、超能力がある人ない人がいたり、写真記憶ができる人できない人がいたり(あ、写真記憶は元来の力でもないか)。
ま、言ってみれば、歌が超絶上手な天性の才能の持ち主とそうでない人がいるのと同じことですね。
親方は、持ってない能力や努力しても開発できない能力は、今自分には必要ない能力とバッサリ割り切って生きているところがあります。
なので餅は餅屋だと思っております。
そのためのプロだから。
もし今の世で全員に必要な能力なら、全員が持っていると思うんですよ。
持っていないってことは、全員には今必要ないってことでもあると勝手に思っています。
動物と言語で話せないってことは、すなわち話せないってことじゃないですよね。
言語で話せなくても鳴き方で何を伝えてくれているかわかりますし、一緒に暮らしていれば、その子その子の個性、行動や表情、仕草、間合い、そういうものからわかります。
爪とぎの仕方一つでも、遊んで欲しいときやむしゃくしゃしてるとき、トイレ行く前の爪とぎでは全然違います。
日常を共にする家族って、そういうノンバーバル(非言語)なコミュニケーションを理解し合うことこそが大事じゃありませんかしら。
もちろん言語で明確にしてもらいたい時ってありますよね。
はっきり知りたいってことはある。
命に関わることとか、亡くなってしまって姿が見えなくてサインがわからない時とか、迷子でどこにいるのとか😭
でも、うちの子はどんな砂が好みですかとか、どんなご飯が好きですか、どんなおもちゃが好きですかとか、そういうのは家族として一緒に暮らしながら探っていくこともできる。
っていうか、それこそが家族じゃないでしょうか。
言語のコミュニケーションができる人間同士だって、本音を言わないけど目が語ってるとか、鼻息が語ってるとか、癖とか仕草、表情などのノンバーバルな部分で読み取ることも多いですよね。
この子、本当はグリンピースをこっそり捨ててたとか、親に押し付けられて巨人ファンだったけど本当は浦和レッズファンだったとか、途中でわかることもいろいろあるじゃないですか。
そういうの、一緒に時間を共にしていろんなエピソードがあって、それでわかり合っていく、そうやって絆が深まっていく、家族になっていく。
動物もそうでしょ。
ましてや話せないからこそ、より一層、動物達の行動を注視したり、何を言いたいのかなと相手に想いを馳せ、理解しようと努めますよね。
そここそが、共通の言語を持たない家族にとって必要な心の傾け方なのかなって思っています。
簡便に話すことを願うあまり、そういう基本的な大事な絆を忘れないで欲しいし、話してもらうこと(聞いてもらうこと)に慣れて、なんでもすぐ人に聞いてもらうというのは、一緒に暮らす家族に対して失礼な気すらします。
ただこれだけは言えます。
お話しすることが必要な場合、それは動物さんがそのように導いてくれます。
なので、「話せることを待ってたよ」って言う子も沢山います。
そういうタイミングも、動物さんと心が繋がっていれば、受け取ることができます。
そう、心さえ繋がっていれば、心がちゃんとわかっているのです。
言語のコミュニケーションといっても、動物達の場合は心そのまんまです(もちろんアニマルコミュニケーションは言語だけのコミュニケーションではありませんが)。
心が繋がっていれば、それが一番大事なコミュニケーションなんですよね。
大事なのは心と心。
一番大事なのは心。
なにせ死んだら心一つになるんですし。
心の姿が自分の姿。
大事な人、大事な相手とは、「素の心」でレッツコミュニケーション♬
*ブコメはスターをつけてなくても全部読ませていただいております。ありがとうございます。