親方の座右の銘のトップに『活潑潑(かつぱつぱつもしくはかっぱつはつ、中国語ではポーポーという)』が加わりました。
イキのいいお魚ちゃんのようにピチピチした心身で生きること。それは最強なんざます。
ブログもますますポーポーで行きましてよ。
と言っても、病を抱えている方は、そうそうポーポーではいられないと思います。
病を抱えている状態はしんどいものです。
治したい、治りたい、と思うのは必然。
でも本当に治したい、治りたいと思っていますか。
実は大事に病を抱えている方も多いですね。
まずは本当に治りたい、治したいと心から思えていれば、想いは行動になります、行動すれば体は変わっていきます。
ただそこで、「治したい、治したい」と常に思い続けていると・・・
裏返せば、常に自分の病気の部分だけを見つめ続けていることにもなるので、「自分はここが悪い、病気だ」と思い込ませているのと同じにもなります。
大事な動物家族たちに対してもそうです。
「治したい、治ってほしい」という想いを常に執着のように持ち続けると、それはまた「病であれ」ってことと同じにもなってくるのであります。
例えば、占いをする人に、「あなたはこの時期が良くないことが起きるので気を付けましょう」って言われたとしますね。
運気が下がるので注意しましょう、注意しながら生きた方がいいというありがたいアドバイスであるはずのものが、人によっては「あなたはこの時期は悪い、何か起きるに違いない」という念が呪いのようにくっつくんです(受けとり手が自分でそう思い込む場合もありますね)。
それと同じです。
ある動物さんが、ヒーリングの際に、心配性でいつも我が子の体の調子を事細かに注意して心配している人間家族さんの想いを「まるで病気にならないと悪いみたい」って言ってました。「病気になれってこと?」って。
人間は、そんなつもり1000パーセントないですよね、本当に病気にならないでほしいただその一心なんですけど、想いの方向性によっては、その想いが病気を作ってしまうこともあるのですね。
にぼしくんやぴんのすけくん、あるいは他の動物さんたちが常々教えてくれているように、「病気の部分だけを見つめないで」ってことですね。
他のいい状態のところもたくさんある。
できているところがたくさんある。
そして心配しすぎが本人の回復力を妨げたりすることもあるということですね。
もちろん、「病気治し」サポートを使命として働いていてくださる見えない世界のエネルギー、天使や高次元霊たちはごまんといてくださるので、症状が改善されたいと願うこと、意識をそこに向けることはこれまた大事ではあります(具体的に意識することでサポートをいただけるので)。
でもそのあとは、人間の自我ではからわない。
起きたことは全て受け入れる。
生命の体は、氣さえ通っていれば、足らないものは自然に補ってもらえるようになっております。
その生命体に最適な状態に常に生まれ変われるようになっているのであります。
もちろん肉体が病むことには意味があるので、心の乱れだけが全ての病気の原因ではありませんし、医学も天意ですので、医学の発達の力を借りるのも大いに良しです。
治った時の喜び、健康やお世話になった周りの方々への感謝、健康の素晴らしさは、病気になってこそ気づけることもあります。
ただ、心と体はそれだけ密接に関係があるので、内なる治癒力が高まれば、医学のお世話にならないで済むことも多いってわけですね。
今日のお話は、ヒーリングの哲学&極意?のエッセンスでもありますし、人生をポーポーに生きるためのエッセンスにもなるかもですよ〜。