「もっと看病させて欲しかった」
病気発覚から割と早めに愛猫を送られた同僚の言葉です。
純血種で14歳以上でしたので、病気が何であれ立派にお命全うでの天晴れな旅立ちでした。
ただ人間サイドからしたら、少しでも長く一緒にいたかった、もっと面倒見させてもらいたかったって言うのは、わかりすぎるほどにわかります。
でも彼女(猫さん)の性格とお母しゃま(同僚)の事情を思うと、長患いを望まず潔く逝かれたことに、同僚も納得していました。
親方はいつも、キーちゃんをとことん看病させてもらえて幸せ者だと思っていました。
当時も、今も。
お外を行き来していた時代の猫さんは、今際の際は姿を隠しに行くことも多く、最期を看取らせてもらえないこともよくありました。
それでも姿を消す前、あるいは旅立つ前に調子が悪いと、心の準備は多少なりともできるものです。
でも、事故は!
事故は、もう、ほんと突然すぎるお別れですからね。
さっきまで元気で普通だった子が、突然いなくなってしまうので・・・
ある日世界が変わらなくても、1人だけ世界が変わってしまう、そんな感じですよね。
親友猫の突然の事故死は、まだシミひとつないもち肌大学生の親方の心に、大大打撃を与えたものです。
例えば20年以上一緒に生きて、ある朝相棒猫さんが目覚めなかったっていうお別れも素敵ですが、覚悟ができるお別れ、とことん看病させてもらえるお別れも、本ニャンは大変で申し訳ないし、人間も毎日心臓ちぎれそうになったりするけど、それでもやはり幸せでありがたい時間です。
どんな時も一日一日を限りなく大切に大事に生きていれば、どんなに突然にお別れが来ても大丈夫なはずで、ネオとの暮らしはそのくらい心していますけど、それでもやはり、元気で健康でいてくれるときと、命の限りが見えた時の心持ちは違うでしょう。
(違って当然で、そんなに毎日元気な時まで今際の際みたいに暮されたら、お猫様だって重たくってシャーなすぎますシ)。
要するに、愛する子が命に関わる状態にある時というのは、かけがえのない想いや絆がより強まり、この上なく深まり、限りなく高まる時でもあると思います。
一瞬一瞬が宝物。
それを平時より一層一層意識できる期間。
突然の別れでは生きてるうちに伝えきれないかもしれない思いの丈を、どんなに大切かを、どんなに愛しているかを、日々日々伝えられる特別な時間。
そんな時間をいただけること、これもまた、ありがたいギフトなのですよね。
かと言って、
ネオは病気は一切いりません、そのギフトは憚りながら結構です、常にご辞退申し上げますので、神様よろしくどうぞ。