キーちゃんは、もう手術をしないと決めて帰宅しました。
でももしたとえ治らない病気と判っても、この再発のスピードがもっと遅くて、例えば1年以上再発しないのであれば、呼吸とQOLを維持するためだけでも、また再発したら手術って手もあったかもしれません(本当にそこだけが問題の子なら。でもこの病気で重症な子は白血病陽性の確率が高いので、他の問題が勃発している可能性ありです)。
胃ろうアフターかつ次の処置のビフォーキーちゃん。
でもキーちゃんの病気は違いました。
あの大手術後数日以内にはまた新たな病巣が生まれて、それも猛烈なスピードで成長し増殖したんです。
もう打つ手なしということで、余生を過ごす為に退院したんです↓
ただ、余生と思ってるのは先生で、親方は思ってませんでしたよ。
もちろん覚悟もしてましたけど、諦めてもいませんでした。
一つ一つ、体内からの免疫アップも含め、できることを探りながら生きていました。
アフタービフォー。
幸いなことに、とてつもない難問と思われた「お口の穴がふさがならかった問題」のおかげで、またポリープ満々になったらそこから抜くって奇跡の作戦も生まれたんです
胃ろうで体もしっかりしたアフタービフォーキーちゃん。
キーちゃんは楽しく日常生活を送っていましたが、2回目の大手術から2ヶ月でまたすごく大変になってしまいました。
処置をしてもらうことになったビフォーキーちゃん。
キーちゃんの病気の間は、1日って時間がものすごく貴重で、ものすごく長くものすごく充実していましたので、2ヶ月ってあっという間って感じはありませんでした。
1週間先の体調なんて先すぎて読めないって単位での進行だった反面、その1日1日の重みがとてつもなく大きく、とてつもなくかけがえがありませんでした。
ビフォーキーちゃん。
気管ろう手術が名案と思われるも・・・
気管ろうにしてたら死んじゃうとこでした。
三途の川予約前する前にセーフ。
そして引き抜き処置をしていただきました。
アフターキーちゃん。
三途の川チケット予約です。
これも猛烈に術後がきつかったです。
主治医の先生曰く「相当な荒療治」でしたし、酸素室でもなく点滴もなく痛み止めもなく(猫に出せる痛み止めってないそうで)、ひたすら苦しい時でしたが、翌週の診察の際には先生にそんな気配も見せずに、年末のご挨拶を述べたキーちゃんなのでした。
キーちゃんの強靭さは、先生方の想定を超え、大いに期待も希望も持てましたが、年末の処置後の大変さを見ていた親方は、もう処置もしないと決めました。
かといって、処置もしなかったらその後のキーちゃんがどうなっていくのか予想もできず、安楽死なんて選択は、たとえその時が来ても到底できなかったと思いますが、そんな中、前鼻腔のポリープは勢いが弱まり(多分前側に出る鼻甲介がもうなくなったんじゃないかと)、お鼻から飛び出るということもなく、この先体が持てば、いつしかポリープの成長は止まるんじゃないかとさえ思わせてくれました。
でも後鼻腔のポリープは相変わらず満々になってしまっていったんですけどね。
処置アフターもこんなにしゃんとしてます。
最後の処置後のキーちゃんは、鼻血だけでなく目からも毎日出血してましたし、だんだんと調子が落ちていきましたが、最後まで気丈で、毎日を楽しみ、親方に安楽死の選択をさせることもなく、「これにてもう逝くよ」と旅立っていきました。
最後はついに肺炎になってしまったし(お口に穴が開いているので、自分の唾でさえ誤嚥肺炎を起こす可能性があったので、これは覚悟の内でした)、心臓の肥大も相当になってしまっていたし、骨腫もあちこち大きくなってレントゲンで肺が見えないほどでした(内臓もあちこち圧迫されていた模様)。
もう食事も胃が受け付けなくなりましたしね。
いわゆる寿命ですね。
なんかうまく表現できないのですが、体の状態と共に、できることは順にみんなし終えていったというのでしょうかね。
元気で頑張れたうちは自然と大きなこともしたけれど、だんだんとキーちゃんが耐えられない状態になった時には、もうしないで良い状況になったというか。
旅立つ前も息は詰まっていたけれど、手術をしないとどうにかなっちゃう!って状況よりも前に、すなわち窒息が来るよりも前に、綺麗にこの世の生をお仕舞いにしたというのかな。
親方が耐えられないことは起きなかったといえば良いかな。
親方が後悔のないとことんラインまで共に歩み、共に付き合ってくれて、自然に二人が「もうこれ以上はない」って分かるところで、美しくサヨナラをしてくれたというかな。
うーん、この想いを人様に限られた表現力で伝えることは難しいけど、いかなる手術もいかなる処置も、後悔はしていないんです。感謝しかない。
それだけは確か。
必要のない時に、必要のない手術も処置もなかった。
つまりそれしかなかった、って選択しかしてこなかった(必要のないことは必ずストップが入りました)。
選択しなかったことにも後悔はなかった。
全てに意味があった。
キーちゃんだって気が進まなかった手術を頑張って乗り越えたら、ものすごく快適でご飯もモリモリ食べられて走り回れて遊び回れる日々がやって来た。
ものすご〜く苦しい日々の後だったので、ものすご〜く嬉しそうで安らいでいた。
たとえ手術をせずに生を終わらせても、動物たちは一切後悔をしないでしょう。
でもその先に、またもう少し幸せな時間を神様からもらったら、彼らも安らぐ。
どちらを選択しても、彼らは恨まないし後悔をしない。
ただ愛するパートナーの選択を信じ切って、身を任せてついて来てくれる。
彼らは自分でお財布を持って病院に行くことができない以上、最終的な判断を我々に任せてくれる。
(そりゃ彼らには彼らの気持ちや意見があって、行きたくないよっていうかもしれない。その時、行きたくない気持ちを選択するのもパートナー人間なわけです)。
要するに、全面的に信じて全託をしてくれる。
キーちゃんと親方の人生は、本当に素晴らしい冒険であった。
二人が一緒の時は、いつもきっとまた冒険をすると思う。
そして冒険の後の休息には、いつもネオがいてほしい。
ネオはこういう治療は望まないので、親方は彼の意志をできる限り尊重する予定です。
なので、こんな有無を言わさず手術しかないって病気にはならないって信じてます。
神様〜、信じてますよ〜、頼みますよ〜〜、どうぞ宜しくお願いしますね。