キーちゃんの旅路は、ご覧の通り次々と困難が降りかかってきました。
この難病そのものの大困難以外にも、派生してというか付随してというか、つっぎつぎといろんなことがひっきりなしに訪れてくれました。
なんかの因果因縁があって、親方の貯金が底をつけばが治るのかなと思ったこともあります(笑)
ふさがるはずのお口の中の傷がくっつかず毎日どんどん広がって行った時も、なんてこったいってたそがれました。
せめてその位、普通にふさがってくれたらいいじゃないっすか。
お口の穴は、15〜20mm×10mm程の楕円位の大きさまで広がりましたよ。
猫さんの上顎のサイズ想像してください。
そこにそんなおっきな穴空いているの想像してください。
うっわーおっき!
親方はとうとう最期まで見られなかったですけど、途中でY主治医が絵でかいてくれました。相当おっきかったです。
なにせ神が舌打ちする程の大事件だった訳です。
でもね、・・・この穴が大活躍するんです。
キーちゃんはこれ以上手術をしないと決めた時、先生が今後の方針として、「ポリープがまた充満してきたら、このお口の穴からY主治医に引き抜いてもらってください」っておっしゃいました。
おぉ。これってすごくないですかね。怖いけど。
手術しないでポリープ引き抜ける穴が用意されちゃったんですよ。
なんといっても上顎を押し下げる勢いで充満するポリープなんですよ。
でもお口に穴が空いてたら、空間に少しは余裕ができますよね?
穴からお口の中には出て来ちゃうでしょうねとは言われましたけど(怖いって)。
ピンチと思えたことが、実はこんな奇跡だったんです。
無論お口に穴が空いたってことは、いつでも誤嚥肺炎の可能性も出てきました。
鼻水やよだれでさえ誤嚥肺炎の要因になりうるのです(一瞬たりとも気が抜けないノヨ・笑)。
お水も草も撤去です(涙)
キーちゃんのお鼻の中はがらんどうですので、ベランダで吸った異物がそのまま肺に到達してしまう可能性すらあります(咳で出せなきゃね)。
お鼻の中のがらんどう具合は、実は前回以上です。
キーちゃんはこの二回目の手術で、鼻中隔が溶けてなくなりました。
鼻中隔が溶けるほどの焼灼なのに、ポリープ軍団には勝てなかったんですよ、強いねー、軍団。
ま、これによりキーちゃんの自慢の鼻筋がいささか低くなりますけど、親方にはいつだってまごうことなき絶世の美男子でした。
後ね、もしフラップの特殊な糸があって早くに手術ができちゃったら、ポリープ再発を確認する前にお口を閉じるはめになっていたかもしれないんです。
糸がなかったからお口の手術する前に胃ろうになって、胃ろうになったから帰れるんです。
フラップの手術してもお口塞がらなかったでしょうし、本当にお家に帰れてなかったと思います。
糸がなかったのも奇跡奇跡。
そりゃあもちろんお口からご飯を食べられなくなったことは、とってもとっても胸痛む出来事でした。
お口から味わってご飯食べることができないんだ、大好きな草も食べられないんだって思ったら辛い。
でも、調べれば胃ろうの子って結構いっぱいいるんですよね(結構いっぱいって、何を基準にするかによりますが)。
ネットでは巨大結腸症で胃ろうになって、3年半生きた子もいました。
そういう先輩方に勇気いただきました。
キーちゃんだけじゃないんだ、皆頑張ってるんだからって。
で・も!
この後また食べられることもあるんで、お楽しみにしてください(楽しいかどうかは別として)。←これもまた、一種の「ピンチがチャンス」の現れでしょうね。
こんな風に、その時は一見道を阻むと思われた出来事が、プラスに転じる奇跡を何度も体験しました。
この病気が宿命で避けられないものだとしても、ゴールまでお見守り下さる見えない力をそこかしこで感じられました。
そんなことが起きる度に、ずーっとずーっと見守られているのだなって心っ底感じましたね。
どんな困難の時も本当は常に見守られているって本当なんですねって実感しました。
宿命は宿命として粛々と進んでいくんですけど、ここまでは計画にないよってことはちゃんと取り払われたり、救いの手が差し伸べられるのです。
全力で祈り、全力で取り組んでいさえすれば、神様も応えてあげようって思ってくださるものですね。
人事を尽くして天命を待つって見事な言い回し、ホント言い得て妙です。
ただ、どうしたって変えられない宿命はあって、魂の成長のためにそれは乗り越えないといけないことなんでしょう。
だって何一つ困難のない人生なんて、誰も送ったことないですよね。
人生ってそういうもんですよね。
生きていくってそういうことなんだと思います。
でも親方はへなちょこ左衛門なんで、「成長しなくていいからこんな困難は来なくてよかったです」って思ったこともあります(笑)
へなちょこだから鍛錬のために来ちゃったのか?
「乗り越えられないハードルは来ない」とか言われようとも、「乗り越えられないからいりません!」ってご辞退申し上げたかったですね。
でも「来たからには乗り越えられるはずなんだ〜う〜・・・ルアァッ」って自分に言い聞かせながら進軍しました(最後のは気合の掛け声です)。
飛んでも飛んでもハードルが並んでる競技で、なかなかゴールが見えなかったですね。
まさに迷宮ハードルみたいな感じでしたけど、でも全てに意味があったんだって終わってみれば分かりましたし、終わりのないトンネルってないって思いました。
同時期にご家族が闘病していた友達ともいつも分かち合っていました。
「キーちゃんみたいなことは普通ないです」ってどちらの先生にも言われましたから確かにめったにない体験なんでしょうが、こんな特殊な事態でなくっても、予後の良くない病気や回復の見込みがない病気で愛する子が闘病したり、あるいは命に関わらない程度のことであろうと、愛する子が辛い目にあうことは心痛の極みです。
親方はネオにハゲができただけで毎日心配し通しでした・笑。
ましてや闘病が長きに亘る方は毎日毎日手探りでいらっしゃったり、いろいろと先の見えないお辛いことが多いと思います(もちろん闘病以外の艱難辛苦全てに当てはまりますけれど)。
でも、必ずかならーずトンネルの出口はあります。
それがお別れであっても、その時まで悔いなき日々を送ることこそがお互いにとって一番の幸せかなって思います。
あ、悔いなきと言っても「あの時あれで本当によかったんだろうか」みたいなことって、ニンゲン側には何かしらどっかで残るもんだとは思いますが、ニャンコ側からしたらそういうのってどうでもよくって、彼らは「ありがとう」ってだけ思っているんですよね。
全力で生きて、全力で愛してくれて、全力で感謝して、ウジウジ過去を振り返らない。全力で今を生きてるからできること。
見習わなきゃ〜。
この後も、土壇場でのおはからいに助けられたりしまーす。