動物たちの健康維持に、あるいは病と共に生きている子にとっても、もはや基本アイテムとなっている感のある親方推奨(!?)バランスアルファ。
毎月届くニュースレターは、腸内環境のイロハがくどい程に学べて(笑)重宝しております。
そんな中、バランスアルファを治療に用いていらっしゃる獣医さんが時々登場してくださいますよね。
このところ、チロとサクラのクリニックの渡辺院長先生がインタビューを受けていらっしゃいました。
自然治療も取り入れていらっしゃる獣医さんとしては有名な先生ですね。
先生の病院では、98%くらいの方がご自宅で看取れているそうです。
残りの2%はその子の調子が良くなってペットホテルに預けている間に、とか、手術後退院できずに、という子達。
そして旅立つ子達は、どの子もご家庭内で最善のタイミングで旅立っていると。
それって渡辺院長だけでなく、多くの方が実感されていることと思いますし、動物たちの気持ちを知ろうと学んでいる方にとっては全然珍しくないお話しと思いますけどね、まあ今日のテーマにしちゃったから続けさせてください。
たとえ自宅で最期を迎えても、ちょっとご家族が目を離した隙に、とか、一瞬うたた寝したら、とか、会社に行った後に、などなど、側で旅立ちを見守れないことも当然ありますし、そうすると人間さんたちは深く悲しまれますよね。
だけど、それもみんな家族を想って、彼らが最良の選択をした結果である場合がほとんどなのですよね。
中には、「あ!って気がついたら体の外に出ていたよ」ってこともあるみたいですけど、それもまた大きな目で見たら意味のある絶妙なタイミングなんだと思います。
最期はお外に旅立ちに行っていた猫が多かった昭和の親方からしたら、現代はお外に出していない分お家で看取れることが多いのかと思っていたら、渡辺先生によると、最期を病院に預けちゃう方が結構いるみたいで。
辛くて看取れないとか、病院に預けたら安心、なんとかしてくれる、という思いで預けちゃうみたいなんです。
それもわかりますよね。亡くなるくらいなので症状は重篤でしょう、重篤すぎて連れて行くと「じゃあ入院してください」って展開もあるでしょうし。
致し方なしですよね。
でも、ニュースレターには書かれています。
動物と暮らすことの最大の意味は、「死と向き合うこと」かもしれませんね
と。
命あるものを迎えた以上、死と向き合う時が来るのは当たり前のことで、それは誰もが通らねばならない道ですけど、人間は時として、愛するがゆえに別れに直面するのが怖くなることもありますよね。
わかります、わかります。
親方も小さい時、母の不在中、最愛の猫が最期の時を迎える時に、怖くて辛くて離れて影から見守ってました(ヘタレですみません(T . T))
シスと一緒だったからまだよかったけど、一人だったらもっと怖かったと思う。
出来るだけ冷静ぶっていましたけど(ってほんとかな、嘘かもね)、早鐘のように胸が鳴っていましたわ。
そこへ母が帰ってきて、七転八倒の末にこと切れたばかりのその子を「抱いてあげなさい」と言いました。
「ちゃんとわかるから。ジイちゃんが抱っこしてるのが、ちゃんとわかるから。まだ体の中にいるからね」と。
タオルに包んで抱っこしたその子は、生前と変わらぬ温かさで、でももう二度と起きてはくれない。
親方の心は悲しすぎて張り裂けそうでした。
それでも、旅立ちの場にお外のどこかではなく、我が家を選んでくれたことは、この上なく幸甚でした。
その子がなくなる前夜、近所の猫さんたちがお庭に集まってアオーンアオーンって鳴いてたので、ああお別れにきたんだなぁ、もうダメなのかなぁとドキドキしていたのを思い出します。
話がそれちゃった。
そうです。
入院中に亡くなることも、もちろんその子の選択ですよね。
だけど、先生は旅立つとき、「やはりご家族のいない病院では寂しそうに見える」とおっしゃっていました。
自分のおうちで旅立てるって、きっとその子にとって最高に幸せで、その旅立ちを見守れるって、きっと相棒にとっても最高の贈り物なんですよね。
生と向き合って暮らしている以上、死ともきちんと向き合わせていただく。それが一緒に暮らすものの責任なんでしょうね。
生と死は一つの輪のように繋がっているものですからね。
くどいようですけど、側で見守れなくても、どこで亡くなろうとも、その子の選択であり、その子がそれがベストと思ったからなんですよ〜、愛の濃い薄いとは関係ありませんよ〜。
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